上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |

ユクスキュル/クリサートによる「生物から見た世界」です。
エストニア生まれのユクスキュルにより、1934年にベルリンで出版された動物学の古典的名著である。

先日読了した「世界がわかる理系の名著」で紹介されていたなかで、もっとも興味を持ったのが、この本だった。

一般に私たちを取り巻く「環境」と言えば、客観的に私たちのまわりにあるすべての物、木や花や草や水や土や気温や天候や、あらゆるものが存在する世界を考える。

しかし、ユクスキュルは、動物を取り巻く時間や空間は、動物によってすべて違うというのである。あらゆる動物はみな独自の「環世界」を作りながら、その中に浸りながら、主体的に生きているというのだ。

多様な環境というものの中から、動物たちは自分にとって意味なるものを選び出し、それらで作り上げた環世界が、動物自身にとっても重要なのだという。

ユクスキュルはこう表現している。
「あらゆる動物は、それぞれのまわりに、閉じたシャボン玉みたいなものを持っていると想像していいだろう。主体の目に映るものすべてがそのなかに閉じこめられている」
「シャボン玉は主観的な知覚信号から作られている」

本書ではそれを、ダニやゾウリムシやカタツムリやハエやミミズや鳥や魚やモグラなど、さまざまな事象を取り上げて解いている。それぞれにおいて、主体的な環世界が作られており、それ以外のものは無いものとして扱われるが、そのように設計されているのだ。

さらに、人間に関しても言及している。大人と子どもでは環世界が違っている。視覚的なことで言えば、経験によって大人の環世界は広がっていったり、距離を認識したりしていくのである。
また、天文学者の環世界、原子物理学者の環世界、感覚生理学者の環世界がいかに違うのかといったことにも言及しているが、最後に「多様な環世界すべての背後に、永遠に認識されないままに隠されている、自然という主体がある」と本書を締めている。

地球温暖化や生物多様性など、政治的にも学問的にも環境問題が重要なテーマとして取り上げられている現在において、人間である私たちが捉える環境というものを考える上で、ユクスキュルの唱える「環世界」という考え方は、今なお新鮮であるだけでなく、きわめて重要であり、環世界の視点無しには、環境問題の本質的な議論はできないとさえ感じる。

私たちが「良い環境」と考えるとき、それはすべての動物やあるいはすべての人にとっての環境ではなく、私たち(主体)にとっての「良い環世界」を意味していることを理解しなければならない。
「私たち」とは如何なる主体を指すのかが常に問題であるのだ。

私たちは、誰もが自分だけの思い込みの世界に生きているのである。

 にほんブログ村 本ブログへ
スポンサーサイト

2012.07.01 | サイエンス | トラックバック:(1) | コメント:(2) |

いろいろな本で「人は自分が見たいものを見ている」という趣旨の文章を見かけますね。

やっぱりそうなのかどうなのか。実感がわかないので、難しいです。
それをシャボン玉、と表現するのはすごいですね。

>「シャボン玉は主観的な知覚信号から作られている」
とてつもない説得力を感じます。

2012.07.02 05:57 URL | ハマの三文芝居 #GX2Xndlk [ 編集 ]

確かにショボン玉の表現は、わかりやすかったですね。

しかしこの本が出版された当時は、あまりに斬新な考えかたすぎて
なかなか受け入れられなかったそうです。

受け入れられたのは、ユクスキュルが晩年になってからです。

2012.07.03 01:56 URL | patch #- [ 編集 ]












管理者にだけ表示

トラックバック URL↓
http://patchxpatch.blog.fc2.com/tb.php/61-6baab4da

まとめtyaiました【「生物から見た世界」 ユクスキュル】
ユクスキュル/クリサートによる「生物から見た世界」です。エストニア生まれのユクスキュルにより、1934年にベルリンで出版された動物学の古典的名著である。先日読了した「世界が

2012.07.02 06:41 | まとめwoネタ速neo

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。