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山崎ナオコーラさんの「『ジューシー』ってなんですか?」です。
文庫化にあたって「ここに消えない会話がある」が改題された。


とてつもなく傑作なのかもしれない。

カバー裏表紙に、「職場小説」って紹介されている。
確かに舞台は職場のデスクまわり。
なのに、なぜだかとても「詩的」なのだ。

毎日、新聞のテレビ・ラジオ欄の編集作業(校正や読み合わせなどで、ミスをしらみつぶしにチェックする)という地味な仕事をしている。恋人でも友だちでもない、立場も微妙に違う職場の同僚たち。
そこで交わされるなんでもないありふれた日常の職場での会話。
それはたいした意味もないようだし、なんだか曖昧であって、希少でも何でもなくて、いたってありふれている。

そこで登場人物は随所で真理を語りたがり、人生の決定的な出来事が何気なく綴られていてドキリとするのだが、それよりもその間にあるただ交わし合う会話の中にこそ、尊い何かが見え隠れしていて気持ちを揺する。

この感覚がまるで「詩」のようで、クセになる。

単調な仕事の中にもやりがいのある瞬間があり、仕事をしながらもささやかに人生に関わるような会話が生まれては消えている。

その曖昧で大切なものを表現することに彼女は見事に成功している。
山崎ナオコーラさん。なぜかとっても気になる作家さんである。

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2012.03.30 | 山崎ナオコーラ | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

和辻哲郎さんの「風土」です。

梅棹忠夫「文明の生態史論」と並び称される比較文化論の名著である。いつか読まなくちゃと思いながらもずっと積んだままになっていた本なのだが、やっと読んだ。


風土」とは、なんだろう。

哲学者・和辻さんは、冒頭で「風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」と規定しながらも、副題に「人間学的考察」としているように、「風土」は単なる自然現象や土地の状態をいうのではなく、その民族、人間の精神構造のうちに刻まれて具現しているもの、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現のうちに見いだされる人間の「自己了解」の仕方であると規定し直している。
そこから「風土の型が人間の自己了解の型である」というところに到達する。
さらに、「もとより風土は歴史的風土であるがゆえに風土の類型は同時に歴史の類型である」とも言っている。

そこで、風土を『湿気』の違い(湿潤と乾燥)において「モンスーン」と「砂漠」、「牧場」の3つの類型に分類し、日本をモンスーン型ではあるが、夏の「台風」と冬の「大雪」が並存する(それはとりもなおさず四季に富んでいることを指すのだが)特殊性に着目して、風土の側から見た日本人論を展開している。

そして日本人の国民的性格を台風的性格(季節的・突発的)なところから「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」と呼び、一方で、空間的、間柄的にみて日本には明らかに『家』があるとし、家と隔てられた公共なるものを「よそのもの」とみることが様々な営みに影響していると指摘した。

この『湿気(四季の変化)』と『家』に基づいて日本の珍しさ、国民性などを読み取っており、大変興味深い。

なお、解説にもあったが、本書は発刊後間もなく、唯物論の立場から戸坂潤氏が痛烈な批判を試みて以後、様々な角度から批判も受けているそうだ。
先日読んだ『梅棹忠夫語る』(日本経済新聞社/梅棹さんの実質的な最後の書籍(語り))でも、和辻さんの『風土』のことに触れていて、「『風土』はまちがいだらけの本だと思う。‥‥‥どうして『風土』などを言っておきながら、ヨーロッパの農場に雑草がないなどと、そんなバカなことを言うのか。どうしてそんな間違いが起こるのか。‥‥「自分の目で見とらんから」です。‥‥‥あれは思い込みや。」と。

和辻さんがもっぱら天才的な芸術的直感を発揮するのに対して、梅棹さんは、徹底してフィールドワークにこだわる人だったらしいのでこのような発言があるのだろうか。どちらも“天才的”という言葉が相応しい知の巨人のお二人であるが、梅棹さんの「文明の生態史観」と比較して読んでみるのも面白い。

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2012.03.29 | 和辻哲郎 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

有川浩さんの「ヒア・カムズ・ザ・サン」です。
有川浩さんは、特に大好きな作家さんの一人である。


全体に説明調で繰り返しがくどく、読んでいてずっと違和感を感じる。

七行のあらすじからパラレルな二つの物語を生み出す企画モノだそうだし、演劇集団キャラメルボックスともコラボしている作品で、とても意欲的な試みなのだと思うのだが、如何せん生み出された物語はとても窮屈な印象が拭えない。

あれ、有川さんどうしちゃったの?と思った。読みながら気持ちがザワザワしてくる。
なんか正直、楽しくない。
好きな作家さんの本を読んでいて味わう、その世界へと気持ちを、意識をすっかり持って行ってくれる、あの心地よい感覚がどうしても湧いてこない。

少し無理に理由を探せば、ひとつは主人公である真也の思考パターンが、いちいち引っかかってしようがないようだ。
真也の特殊能力(触れた物の背景にある、人の感情を感じ取ってしまうという能力)に裏付けられた「全部わかってるよ」感に操られた、ずいぶんと年長者であるはずのカオルの父親に対する思考や物言いがどうにも受け入れられないし、私にとって愉快なものとはいえないものだ。

「親子の愛情」とか「編集者とはこうあるべき」とか「作家とはこういう人種だ」とかいう考え方みたいなものも端々で主張されているが、それもどうもスパッと切れてなくて納得感が得られず、違和感を生み、モヤモヤと漂ってしまっている。

あくまでも私の趣向に合わなかったと言うだけなのだが、有川さんの大ファンの一人としてはちょっと残念な気持ちを抱いてしまった作品だった。

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2012.03.28 | 有川浩 | トラックバック:(1) | コメント:(0) |

森絵都さんの「気分上々」です。


多彩な九つの短編集。
ウェルカムの小部屋/彼女の彼の特別な日・彼の彼女の特別な日/17レボリューション/本物の恋/東の果つるところ/本が失われた日、の翌日/ブレノワール/ヨハネスブルグのマフィア/気分上々


時期も掲載紙も長さもかなりバラバラな九編の短編集である。

一冊の本になることを意識されずに書かれた作品ばかりだし、順番も単純に時系列で並んでいて、それぞれのつながりなどは特にはない。それぞれが自由奔放な感じに個性を発していて、これはこれで面白い。

あとがきに、それぞれの作品のちょっとした背景が書かれているが、これを読むと作品への理解が深まるというか、なるほど感が生まれる。森さんに与えられたお題やら条件やらが、なにかと作品に影響を与えていて、お話の性格を左右しているのがなんとなくわかる気がして興味深い。

まず「ウエルカムの小部屋」は、機械仕掛けのペットアイボの写真集『AIBO DREAM』に寄せて、2000年に発表されたものであり、アイボから自動開閉式の便座カバーを思い浮かべて書いたものだそうだ。

一番私が気に入ったは、「17レボリューション」である。
十七歳の誕生日に、より良く生きるために自分改革を掲げて、渋くて愛すべき親友と絶交し、イキのいい相手とだけつきあって自分を変えようと決心する女子高生のお話だ。主人公と親友と元彼のキャラがとてもほほえましくて、彼らの会話も行動もいちいち私のツボにはまってくれて楽しい。文体も弾けるようで最もリズムがあり、ほっこりしつつなんか嬉しくなってくるお話だ。

表題作「気分上々」もいい。
担当者から「中二以上の男子を主人公にするなら、エロは必須」と指摘されて書いたそうで、いろいろな思いが頭の中に詰まっていてそれをうまく制御しきれない男子中学生のドタバタ感がよく出ている。

12年間に渡る作品なので、悪く言えばかなりムラがあり、好みも分かれるのだけれど、このランダムさが森作品を知る上でなかなかに貴重な一冊かもしれない。

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2012.03.26 | 森絵都 | トラックバック:(1) | コメント:(0) |

山田まさるさんの「統合知」―“ややこしい問題”を解決するためのコミュニケーション です。

山田まさるさんは、マーケティング・プランニング会社のCOO(副代表)で、PR会社の代表とつとめ、「脱広告・超PR」などの著作を書かれている。

少子高齢化で国内市場が縮小するなかで、企業は従来のように「競合相手に競り勝つこと」を追求するマーケティングでは、課題解決をすることが難しくなってきた。また、東日本大震災から1年たち、未曽有の出来事の影響からも、社会的問題への関心が高まりを見せている。
こうした状況の中で、従来のやり方では解決できない「社会問題×マーケティング」というような『ややこしい問題』(解決の筋道が分かりづらい、複雑多様な問題)がたくさん出てきている。
この『ややこしい問題』を解決するためのコミュニケーションを考えようというのが本書である。

『ややこしい問題』には、そう簡単に結論を出せるものではない。問題の本質から見直して解決の道筋を少しずつ明らかにしていく必要があり、そのキードライバーが「統合知」(人の英知を結集させること)だというのだ。

著者の言う「統合知」による問題解決の方法を私なりに要約するとこんな感じだと思う。

基本の流れは、
「①課題発見」→「②統合知の編集」→「③統合型コミュニケーションの実践」
である。

そして、まず大切なのは、問題の本質を見極めることだ。
そのために、「2C+S発想」で、「自社C」と「顧客C」と「社会S」の心理行動を明らかにする。そしてもう一つ重要なのはコミュニケーションの「構え」をつくることだという。それも起点は、自分の「行動」からしっかりと「構え」をつくれという。企業で言えば、自社の本質的価値(理念や事業の根底)に根ざした大きな構えを持て(スタンスを定めろ)ということだろう。
すなわち、自社のスタンスを見失わず、社会課題の解決をめざした本質的価値の追求とへとシフト・チェンジする発想が大事なのである。

構えが整ったら、次は人知を集めた上、課題解決に取り組む。統合知の編集である。
その際、まずはターゲットに自分と関係ある問題だと受け止めてもらえる(自分事化)ような身近な議題を設定して「小さな参加」を引き出すことから取り組むのがポイントだ。

そして専門家やステークホルダーの人知を集め、最後は生きた人間と人間の関係づくりによってつくりあげた「統合知」こそが、難題を解決するにあたって、大きな力を発揮する。

人知が集まったら、ソーシャル・コミュニケーションとマス・コミュニケーションの2つの渦から、統合型のコミュニケーション戦略でダイナミックなうねりを起こすのだ、

筆者は、これらをソーシャル・コミュニケーション・デザインなる概念として提案している。


この他、「コミュニケーション・リーダーシップ」や「3年ゴール」の設定、「場・会・座」によるオープン・フラットな関係づくり、コミュニケーションの「自律」「自走」(継続するための事業の中での組織化)などの実践手法に言及している。

提示されていたフレームワークは、上記のように受け止めたが、正直に言って抽象的な表現と丁寧すぎる説明が少し諄く、わかりやすいとは言い難かった。この部分は、もう少し思い切って簡潔にしてしまった方が読者には伝わるように感じた。

ただ、本書には多くの事例が紹介されている。
難病である魚鱗癬(ぎょりんせん)の啓発活動や大震災後の福島県産農産物の風評被害対策、同じく震災に絡んだ「ガリバー×タッグプロジェクト」「ダイキン節電プロジェクト」「味の素の節電レシピ」など、どれも重要ではあるが本当に「ややこしい」難題に対峙しなければならず、困難を承知で引き受ける心意気にまず頭が下がる。
活動の経緯を辿るに、筆者の社会問題に対する真摯な姿勢や熱い思いがしっかりと伝わってきて、何も動けないでいる自分への自省の念を深く感じながら共感するものがあった。確かに筆者は、最後に述べているように「構え」が揺らがないのだなと感心させられた。

この本の魅力は、この事例の方にあるのかもしれないというのが読後の感想である。

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2012.03.25 | 地域づくり | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

池田清彦さん、マツコ・デラックスさんの対談「マツ☆キヨ」です。
とてもお気に入りで尊敬するお二人の対談。


お二人ともマイノリティを自称し、帯にも「異端のふたり」と書かれているが、実にまっとうな正論を気持ち良く吐かれる。

第1章で震災のこと、第2章で情報化社会のことを取り上げて、日本の近代化がもたらした自給自足できないシステムの問題やコミュニケーションの本質などについて語っているが、第3章の『誰がマイナーで、誰がメジャー?』が特におもしろい。

テレビ番組のことから話がはじまる。
「いろんな見方があって、それをめぐってすったもんだしているというのが人間社会の本来のあり方としても正しい」と。そういう井戸端的なディベートができる番組が真っ当だとか‥、無責任システムが横行していて、例えば新聞記事は基本的に全部、署名記事にすべきだとか‥、なんとなく全会一致になっちゃう日本人の同調志向の問題とか、それは他人に合わせるだけで、自分の頭でちゃんと考えていないからだとか、体勢に乗っているときには、間違っても責任を取らなくていいからだとか、だから、体勢とは違う自分の考えを出すためには、なんとなく斜めに構えていないといけないよねとか、で、「ヘンな人」にならない限りにはむしろ言いたい意見が言いづらい風土なんだよねとか。

で、池田さん曰く、マツコさんは、「マイノリティが社会の中で生きるひとつのモデルを与えたという点で存在は大きい」と。
さらに。マイノリティのあり方として「自分たちはマイナーだけど、特別だし、正しい」というかまえからは、生産的な話は出てこないという。

池田先生もマツコさんも、言いたいことを言っているようで、押しつけがましくなくてすがすがしいくもあり、見方によってはなかなかにシャイである。
マツコさんの言葉を借りれば、だいたい「みなさん、ありがとう。そして、ごめんなさい。」という思いを常に持っていて、「しょせんはそんなもんよ、アタシなんて」と自覚し、「いますべきことを淡々とやっていこうって。結局、人間はおごっちゃダメなのよね。ほんとに。」で対談を締めている。

読んでいて、実に気持ちが和らぐというか癒されるというか救われる。この心地よさは、体勢に流されながら「何か変だ」と感じているところを的確かつ過激に突いてくれることとともにその裏にあるマイノリティの自覚と、相手への、人への心ある配慮によるのだろう。

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2012.03.24 | 池田清彦 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「無関係な死・時の崖」です。


《あらすじ/文庫本裏表紙より》
自分の部屋に見ず知らずの死体を発見した男が、死体を消そうとして逆に死体に追いつめられてゆく『無関係な死』、試合中のボクサーの意識の流れを、映画的手法で作品化した『時の崖』、ほかに『誘惑者』『使者』『透視図法』『なわ』『人魚伝』など。常に前衛的主題と取り組み、未知の小説世界を構築せんとする著者が、長編「砂の女」「他人の顔」と並行して書き上げた野心作10編を収録する。

昭和30年代に書かれた短編集。
どの作品も発想、展開、表現ともに秀逸で惹きつけられ、現実から少し切り離された独特の世界に連れて行かれたような感覚がたまらない。

なかでも「人魚伝」は素晴らしい傑作だった。
主人公は、沈没船で閉じこめられた人魚を発見する。全身が緑色の異形の姿、しなやかで華奢な身体、整った顔立ちと無邪気な美しい瞳に魅せられてしまう。そして自室で人魚を飼育しようと思いつくのだが‥‥‥。
その人魚の生々しさ、生物としての重量感やぬめり感みたいなものが伝わってくる一方で、自室に人魚を運ぼうとする準備や主人公の行動、心理状態などは、実に細部にこだわった独特の描写がなされていて、その対比が非日常と日常がねじり込まれて重なり合いながら紡がれていき、不思議な違和感を生み出している。
人魚との愛の営みや食事の描写などは、読んでいてぞわぞわしてくる気味の悪ささえ感じるが、物語は大胆な構図の転換をみせて、とんでもない方向へと展開するのだ。

「人魚伝」に限らず、どの短編も人間の内側で起こる不安な気持ちと揺れ具合、心の葛藤が実に論理的に緻密に描かれていて、人間の滑稽さが滲み出てくる。

物語が醸し出す閉塞感、不気味さ、気味の悪さ、不思議さ、不安定感、不条理観、そういうものがなぜかすべて魅惑的で美しいと感じてしまう。そういう力をどの短編もが持ち合わせている。

安部さんの作品を読み出すと、この得体の知れない、掴み取れない感触の快感に取り憑かれてしまうのだ。妄想かもしれないが、安部作品が読みたいと脳が疼く感じがしてならない。

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2012.03.23 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

養老孟司さんの「ぼちぼち結論」です。

雑誌「中央公論」に連載した「鎌倉傘張り日記」の2005年11月以降の分に、いくつかの文章を新しく付け加えた養老先生の時評シリーズ完結編。


《文庫本裏表紙より》
「理性」に振り回される現代世界を憂い、社会「常識」の怪しさを指摘し、虫捕りの時間がないことをぼやく…。
養老孟司の時評シリーズもついに完結篇。ホリエモン・村上ファンド騒動、NHK受信料、データ捏造問題、中国の経済脅威、自民党総裁選、団塊世代の定年…。さらに、幸せについて、文明についても考察。さあ、結論が見えてきた。


一文一文が妙に論理的で、言い切り調なのが特徴の軽快なぼやきのエッセイである。

いろんな話が出てくる。かなり言いたい放題である。たぶんだが面倒くさくなったのかもしれない。そんな横着な感じがするのだが、そこが面白い。

現代世界の問題はアメリカ文明。そういってしまえば、結論は簡単だ。
アメリカ文明はエネルギー依存、石油依存文明である。アメリカ人は自分の都合のいいように考えるに決まっている。アメリカはどう考えるのかを推測し、大人の付き合いをしようと言う。

古代文明はすべてエネルギーを木材に頼った。だから四大文明の故地は、森林を再生不能になるまで切ったため、現在ではすべて荒れ地だという。石油についても採掘できなくなるまで掘るに違いない。人間は利口になるというものではないとおっしゃっている。

ヒトの脳は、五感から情報を取り入れ(感覚)、内部で計算し(考える)、行動(運動)として出力する。
教育とはこの三つを訓練することだが、日本もエネルギー依存だから、教育は「感覚を育てる」ことを無視し、運動せずに平坦なところを歩き車に乗り、脳の入出力は単調化してしまっているから考えられるわけがない。ちゃんと体を使えよと。

エネルギーはいずれ払底する。ならば将来は人を訓練するしかないよとおっしゃっている。

こんなところが、私が読み取った養老先生のつぶやきの結論かな。

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2012.03.22 | 養老孟司 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

内田樹さんの「街場のメディア論」です。

「アメリカ論」「中国論」「教育論」に続く街場シリーズの第4弾。街場シリーズは、大学での講義の内容や学生とのディスカッションを起こして加筆修正したものだそうだ。

第一講 キャリアは他人のためのもの
第二講 マスメディアの嘘と演技
第三講 メディアと「クレイマー」
第四講 「正義」の暴走
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
第六講 読者はどこにいるのか
第七講 贈与経済と読書
第八講 わけのわからない未来へ


内田樹さんはいいね。切れ味抜群。今回はメディアの衰退を分析する。
既存のメディアを独自の視線でばっさり切っちゃう。

第一講「キャリアは他人のためのもの」のキャリア教育の考え方はなるほど納得がいった。
「適性と天職」を考えてみても意味がなく、「仕事が出来るかどうかは、仕事についてみないとわからない」のだ。
私たちの能力が最も効率的に開発されるのは、その能力が必要とされた時であり、「能力は他者から求められたときに選択的に開花するのだ」という考え方には強く賛同する。

第二講から第五講は、メディアを切れ味鋭くぶった切る。
メディアの価値について。「メディアの威信を最終的に担保するのは、発信する情報の知的な価値」だとする。さらにメディアの有用性を考量する重要な指標は、「危機耐性」と「手作り可能性」なのだと。
そういう意味で、テレビ局の多くが新聞社との系列関係にある身内のメディアであることの問題点とともに、ビッグビジネスであるテレビとコストの安いラジオとの差を指摘している。

真に個人的な言葉には制御がある。現在のメディアの問題は、「最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない」ことにある。だから暴走する。世論とは「誰もその言責を引き受けない言葉」だと言う。
だからこそ、「自分が言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語る方が良いよとおっしゃっている。意に止めて発言しようと思う。

まさに、メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調であるのだ。

第六講「読者はどこにいるのか」は、まったくもって私と考え方が共通していて嬉しい。
書棚に関する(いや読書人に対するか)理路というか、思いというか、考え方は、『本を買って置き場に悩むのが趣味』の私の思いとぴったり符合して心地よかった。
そうだ、本は書棚に並べるために買うのだよ。選書と配架におのれの知的アイデンティティがかかっているのだ。
このことについては、持論を絡めて別途語りたい。

これから新聞やテレビという既成のメディアは、深刻な危機に遭遇するだろう。いや既に遭遇している真っ最中だろうか。出版もその様態を大きく変えつつある。
内田さんは言う。「この危機的状況を生き延びるのは、今遭遇している前代未聞の事態を『自分宛ての贈り物』だと思いなして、好奇心を持って迎え入れることのできる人だ」と。
肝に銘じて、自分なりにメディアと対峙し使っていきたい。

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2012.03.21 | 内田樹 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」です。

本書は「文明の生態史観」に関係した、1956年から1966年の幾つかの論文をまとめて「比較文明論」を展開したもので、1966年10月に刊行された。


大部分が私が生まれる前の論文であり、フィールドワークによる体験と調査を基礎としながらも、まずもって世界をざっくりと大雑把に捉えてものの見事に示してしまった凄さに感嘆する。
それもまだ若かりし梅棹さんの実に鋭い着眼点とこの時代にして斬新かつ大胆であり、革命的と言ってもいい内容にも驚くのだが、この論文のあまりにも簡潔明瞭な論旨とわかりやすい表現はいったいなんなのだろう。

梅棹さんの言う「生態史観」は、だいたいこんな感じだ。

世界を東洋と西洋とに類別するということが、そもそもナンセンスだとする。そして、旧世界をばっさり二つの地域に分けた。

第1地域は、日本と西ヨーロッパ諸国。封建体制のあと革命によってブルジョワが実質的な支配権を得、高度資本主義の体制を確立している地域である。

第2地域は、中国世界、インド世界、イスラム世界、ロシア世界。資本主義的発展が未成熟で、専制君主制か植民地であったか、革命の後も独裁体制にある地域である。

世界を概観すると、全大陸を東北から西南にななめに横断する巨大な乾燥地帯が存在する。古代文明の多くはだいたいこの乾燥地帯のまっただなかかその縁辺にそうサバンナに成立した。乾燥地帯は悪魔の巣だ。ここを支配する遊牧民は破壊力をふるう。

こうした暴力に対抗して、第2地域の歴史は、だいたいにおいて、破壊と征服の歴史であり、建設と破壊の絶えざる繰り返しだった。歴史はむしろ共同体の外部からの力によって動かされ、「他成的」な遷移をたどる。

一方、その東西の周縁に位置する第1地域の日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、まんまとこうした第2地域からの攻撃と破壊をまぬがれた温室みたいなところだった。
そのため、生態系の遷移が「自成的」で、農業文明から工業文明へと順序よく進行した地域であった。


梅棹さんの論調はいたって攻撃的であり、刺激的な物言いが随所に出てきて、時代背景がわからない私にしてもそこまで言い切っていいのかと何ともハラハラさせられる挑戦的な姿勢が、大きな魅力の一つかと感じ入る極めて魅力的な論考である。

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2012.03.20 | 梅棹忠夫 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

西加奈子さんの「地下の鳩」です。
ピースの又吉さんが、テレビで紹介してましたね。


(文藝春秋HPより)
特別な何かを求め、人々はミナミに集う
大阪、ミナミの夜。キャバレーの呼込み男、素人チーママ、イロモノのオカマ。行き場のない思いを抱えて懸命に生きる人々を描いた力作


大好きな西加奈子さんの作品なのだが、一話目の「地下の鳩」は、正直に言うと、面白くはなかった。

大阪ミナミの夜の街に生きるキャバレーの呼び込みとチーママの、自分をさらけ出せずにもどかしくも寄り添い合う、なんとも狂おしいお話だが、全体を包む閉塞感のようなものが読んでいて苦しい。
それは夜の街に棲息する人々の、懸命で不格好な生き様をある意味見事に表現しているのだと思う。

だが、そういう雰囲気を醸し出す文章は、どんよりとリズム感もなく、私には登場人物の思考の癖や行動原理みたいなものに共感もできなくて、どうにもしんどい。
ただ、こういう世界観をも描き出せる西さんの幅の広さ、奥行きみたいなものはしっかりと感じられた。

もう一つ話「タイムカプセル」は、二人の話とシンクロしつつ、オカマバーのママ(ミミィ)の過去のトラウマを引摺りながら傷を癒しきれずに生きるちょっと重い話ではあるが、こちらはママの語り口や洞察に説得力があって、引き込まれるものがある。

どうもミミィがマツコデラックスさんのイメージとダブってしまって仕方がないのだが、故郷に忌まわしい過去を持ち、暗闇に生き、幸福とは言いがたい人生を歩んできたミミィが、投げやりにも卑屈にもならずまっすぐに自分の人生を見つめていく姿には感じるものがあった。

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2012.03.19 | 西加奈子 | トラックバック:(1) | コメント:(0) |

伊坂幸太郎さんの「PK」です。

伊坂さんの本はだいたいは出版されればすぐに読んでいるつもりなのだが、そういえば昨年は一冊も読まなかった。あとがきを見るとやはり震災が影響をしていたようで、本書が出版されたことがまず嬉しい。久しぶりの伊坂作品だ。


《帯より》
「PK]「超人」「密使」からなる“未来三部作”。
こだわりとたくらみに満ちた三中編を貫く、伊坂幸太郎が見ている未来とは―。


構成の巧みさ、設定の意外性、絶妙な伏線の回収とミスリードのうまさなど、いつもながらの面白さなのだが、本作品は、よりメッセージ性が強いと感じる。

伊坂さんの文章は、硬質な文体の中に微妙な違和感を感じさせ、それが沸々と期待感を抱かせる。
この感覚が読んでいてたまらないのだが、今回の作品はその感覚がとりわけ強く、読んでいる間中、どの段落においても何か別の事情や理由や圧力を内側に、裏側に含んでいるのだろうと感じさせるぞわぞわした予感みたいなものが続いていた。

視点の切り替わりも今回はより激しくも巧みであり、それは従来からの伊坂作品の特徴でもあるのだが、いっそう洗練されたように感じられる。時間を含めてかなり思い切った切り替えが行われているが、とてもわかりやすく、物語のリズムを良くしている。

物語に登場する主人公たちは、みんな、大きなシステムと対峙する一人の人間として、決断を迫られる。その決断が、未来を変えると。
そして引用されている心理学者アドラーの言葉「臆病は伝染する、そして、勇気も伝染する」に象徴されるように、大きな見えない力に翻弄され、決断を迫られる登場人物たちにあって、全体通して読者に伝えたいいくつかの大切なメッセージのようなものが強く響いているように感じられた。

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2012.03.18 | 伊坂幸太郎 | トラックバック:(1) | コメント:(2) |

筧祐介さんの「地域を変えるデザイン」です。

本書は、ソーシャル領域におけるデザイン思考を定義しながら、今地域を取り巻くキーイシュー(社会課題)をデータとともに示し、それらの地域の社会課題を“共感の力で美しく解決する”実践例を紹介するもの。


デザイン思考」とは、アップルのPCのデザイン等で有名なアメリカのデザインコンサルティング会社IDEOが唱え始めた方法で、デザイナーの仕事術から核となる部分を抽出し、商品開発から流通に至る過程やひいては企業経営全体のデザインなどに適用しようというものだ。

デザイン思考は、これまではプロダクトデザインの分野、すなわち「モノのデザイン」で使われることが多かったが、本書では、成長から成熟へと日本が変わってきた今、地域ならではの仕組みなど「コトのデザイン」にこそ有効であるとする。複雑化する社会問題に直面する地域において、問題の本質を五感を使って直感的、身体的に捉え、美と共感の力で人の心に訴え、行動を喚起し、社会に幸せなムーブメントを起こす行為が「デザイン」であり、今の時代の地域に求められているとする。

めざすのは、「地域を歩き、話を聞き、課題の本質を心で感じ、身体で理解する。仲間と共にわいわい議論し、わくわくするアイデアを生み出す。アイデアはすぐカタチにしてみる。そんな創造的で賑やかなプロセスを楽しみながら実践する人を増やして地域を変えよう」というのである。なかなかに魅力的な考え方であり、これからの地域づくりのあり方をわかりやすく提案している。

この他、地域を変えるデザインの主体となるものとして、デザイン思考を持ったコミュニティ=デザインコミュニティの役割と生み出し方について、これからの時代の行政のあり方として、デザイン思考で問題解決能力を高める行政=デザイン行政の役割や行政職員の心構えについて触れている。

この本の中で紹介されている「八戸のうわさ」を手がけられたアーチストの山本耕一郎さんに来ていただいて、地域デザイン講座というものを開催させてもらった。アートが子どもから高齢者まで本当に多くの人たちの気持ちを喚起し、つながりをつくり、みんなが一体となって動いていく姿に感激した。人と地域、人を人をつないでいくことの醍醐味みたいなものが伝わってきて、その大きな波を創り出す姿の素晴らしさ、地域にかかわることの面白さをあらためて感じさせてもらった。

地域デザイン、コミュニティデザインという領域は、私自身も今、最も興味を抱いている分野であり、最も意識して心がけている考え方であり、日ごろの活動の中で実践すべき地域社会へのアプローチ方法だと認識している。
こうした取り組みの流れが大きくなっていくことを願っているし、地域の構成員として微力ながらもかかわっていきたいものだ。

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2012.03.17 | 地域づくり | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

田口理穂さん他 「『お手本の国』のウソ」です。


日本において政策の先進事例として取り上げることの多いいくつかの国とテーマに関して、日本で抱いている「憧れ」とは少しばかり違っている実態を、日本を離れてその国に長年暮らすライターの方々がレポートしたもの。

内容は、題名や帯の印象ほどには明確に「ウソ」を指摘する本という訳ではない。でも、実際に日本を離れてその国で暮らすライターの方々の「生の感覚」を知ることは興味深いし、日本からよく見ずに憧れたり、すでに出来上がった見方を通して見てしまう「お手本の国」が、それぞれ複雑な問題を抱えていることを知るのは有意義だった。

フランス少子化対策、教育大国フィンランドのお話は、ライターの実体験・実生活に基づいていてなかなか面白く、また自然保護大国ニュージーランドとドイツの戦争責任への取り組みでは、その多大なる苦労の歴史と筋の通った姿勢が印象に残った。

興味深かったのは、「合計特殊出生率」がこの数年2.00あたりを前後しているフランス。「少子化を乗り越えた国」フランスには、実は「少子化対策」という特別な言葉がないそうだ。少子化に慌てて対策を導入したわけではなく、ずっと以前から「家族政策」に取り組んできた歴史があり、70年代に低所得層へのセーフティネット、80年代に女性労働支援策を講じてきた。こうした積み上げが高い出生率を実現させているのだろうとのことだ。

フランスの特徴として新生児が婚外子であることが多い点があげられる。これは、10年ほど前から結婚よりも法的拘束力が幾分弱く、一方の意志で解消できるPACS(社会民事連帯)という、二人の結びつきを認知する法的枠組みができたことが大きい。PACSは、もともとは同性愛のカップルに結婚を認めない変わりに与えることにした制度だが、これを実際は異性愛カップルが使っている。フランスでは一緒に暮らしはじめた二人の仲が少し安定したものになるとPACSを結び、子どもができてそろそろ別れそうもない確信ができると結婚するというパターンができているとのことだ。このあたりの仕組みは大変興味深い。

その他、若いカップルの同居率(同棲率)の高さと同居開始の低年齢化、そういう若い人を支える高等教育機関の授業料がかからないことや学生・低所得層に対する住宅賃貸援助、医療保険には全ての人が入る(収入がない場合は保険料は無料)ことなど、若いカップルを成立させるよう後押ししている状況は、日本とはずいぶんと違うように感じた。
また、離婚の場合の親権のあり方の違い、日本で言われる家族崩壊どころか「家族」がますます大切なものになっている状況など、興味深いフランスの事情が紹介されている。

フィンランドの教育に関するレポートも面白かった。国をあげて教育投資をしている姿は、「ウソ」ではなくてイメージ通りである。義務教育では学費はもちろん、文房具に至るまでほとんどのものが支給されるなど、徹底している。

ただ、日本との最も大きな違いを感じたのは、現場の先生の裁量であり、先生の社会的な地位である。
フィンランド教育改革の要はまさにこれであったそうで、1994年からトップダウンの統一指導要領が廃止され、自治体に大幅な権限を委譲、細かなカリキュラムは先生の裁量に任されるようになったとのことだ。時間割も選択科目や合同授業の時間だけが指定されていて、担任の先生が生徒の様子を見ながら、当日にその都度教科を指示する。教科をいつ習い始めるかも担任が決めているそうだ。

そして、教職はクリエイティブな職種と見なされていて、大学でも競争率の高い人気学部であり、特に小学校の先生になるには修士号が必須とされている。先生の社会的地位が高いことこそ、フィンランドの教育の最大の特徴であろうと思った。

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2012.03.16 | 地域づくり | トラックバック:(0) | コメント:(2) |

万城目学さんの「偉大なるしゅららぼん」です。
どうしようもなく好きな作家さん。私の好みというか体質に合うというか肌に馴染むというか、これまで全作品ハズレたことがない抜群の相性。


(あらすじ/作品ホームページより)
代々、琵琶湖から特殊な力を授かってきた日出家。それは、生まれてすぐに湖のご神水をいただくことによって宿る他人の心に入り込み、相手の精神を操れるという、不思議な力だった。

高校入学をきっかけに、本家のある琵琶湖の東側に位置する石走に来た涼介。本家・日出家の跡継ぎとして、お城の本丸御殿に住まう淡十郎の“ナチュラルボーン殿様”な言動にふりまわされる日々が始まった。ある日、淡十郎は校長の娘に恋をするが、その直後、彼女は日出家のライバルで同様に特殊な「力」をもつ棗家の長男・棗広海が好きだと分かる。恋に破れた淡十郎は棗広海ごと棗家をこの街から追い出すと宣言。両家の因縁と三角関係がからみあったとき、力で力を洗う戦いの幕が上がった――!


もうめちゃめちゃにおもしろかった。
見事にはっちゃけながらも最高難度のワザをバシバシ決めつつ、ウルトラCで着地する圧巻の物語でした。やりたい放題やってみたら、巧く着地できたって感じかもしれないと思わせる。それくらいの弾け方。

実に万城目さんらしい、圧倒的で奇想天外なおもしろさ、歴史の深みの中にある謎と摩訶不思議さ、活劇的な緊迫感も織り交ぜながら、じんわりじわじわ感動させる見事な展開。本当に素晴らしかった。
ちょっとずれた非日常のヘンテコなものを描かしたら、万城目さんは抜群ですね。

「鴨川ホルモー」の奇想天外さや遊び心、はちゃめちゃな乱暴者の万城目学がパワーアップして帰ってきたって感じ。ファンとしては、すこぶる嬉しい気分になる。

これで、京都、奈良、大阪、滋賀と来たので、次はぜひわが三重県で、伊勢神宮か、藤堂高虎あたりを扱って欲しい。(熱望!)

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2012.03.15 | 万城目学 | トラックバック:(1) | コメント:(0) |

紺野登さんの「幸せな小国オランダの智慧」―災害に負けないイノベーション社会


日本が、失われた20年で最も大きな変化を被ったのは、社会的な資本であり、社会の知的弾力性を個のレベルから回復することが必要だとする。オランダには水と戦ってきた歴史があり、干拓地を単位とするコミュニティ「ポルダー」には、住民の自発的協働による地域連携の文化的伝統がある。そうした自由闊達な対話を認め、問題解決に向けて協力し合う豊かなソーシャルキャピタルを背景にして、「不確実性に強い知的弾力性」を育むオランダに今の日本は学ぶことが多いという。

オランダは、知識経済社会への変換を成し遂げているとする。たとえば、1時間あたりのGDPが世界で最も高い。これは、情報技術の活用、ワークシェアリング、ネットワーク化が進んだ社会構造などが要因であると考えられる。オランダの「人間的資本主義」は、社会・文化の知の蓄積(ソーシャルキャピタル)があって、経済原理や技術だけに拠らない人間的な価値、社会的な価値を重視している。これまでの市場主義的資本主義の限界を超える要素として再認識されている。

さて、ソーシャルキャピタルの豊かさとは、様々な知識に(多様性)容易にアクセスできる(近接性)ことである。日本では、こうしたソーシャルキャピタルが危機的な状況にあるといえる。その再生に向けてできることとして本書では、「対話の場づくり」「社会教育」「ダイバーシティの受容」をあげている。

「対話の場」の具体的な方法は、知の交流を促進する新しい「場」のサービスとして、オランダや北欧諸国の政府(各省庁)が設置しているフューチャーセンターが紹介されている。
これは、未来に関わる政策や戦略を目的に据え、関係する多様な人材が集まり楽しく未来を語り解決手段やアイデアを発見・共有して相互協力の下で実践するための場であり、大変に興味深い。
日本では企業がそのリード役となって設置がはじまっているようだし、これを日本各地につくろうという具体的な動きも展開をされている。

「社会教育」についてポイントと感じたのは、ひとつは社会やコミュニティのレベルで役立つことは何かを教えることの重要性であり、社会とのかかわりを学ぶ教育である。そしてコミュニティを起点に社会と技術や知識を結びつけるようなイノベーションへのアプローチでが求められる。

もうひとつ、オランダのイノベーションに欠かせない観点は「デザイン」である。
ダッチデザインの特徴は、「技術と社会をつなぐデザイン」であり、あるいは社会的関係性を生み出すための活動である。いわゆるモノのデザインでなく、コトのデザインであり、その活動の中に適切にモノや技術・知識を埋め込んでいくのである。

正直、本書はオランダの歴史的な話が多く(それはそれで興味深いのだが)、フューチャーセンターを含めたこれからの話をもっと聞きたいと感じた。まあ、それは自分たちで調べ、考えて行動しろと言うことかもしれない。私たちの地域においても、フューチャーセンターのような前向きで効果的な未来志向の「場」づくりをめざしたいものである。

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2012.03.14 | 地域づくり | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

西加奈子さんの「この話、続けてもいいですか」です。
爆発してる。思いっきし。
まるで関西の噺家の酔っぱらいが呟いてるような爆笑エッセイ。


《内容紹介/筑摩書房サイトより》
テヘランで生まれカイロと大阪で育った著者が、小説の舞台となった大阪のこと、いろんな人との関わり、日々の生活で思ったこと、こだわること、などを縦横無尽に語る。『ミッキーかしまし』『ミッキーたくまし』をテーマ別に整理しなおし1冊にまとめた、著者唯一のエッセイ集。世界とのかかわり方、楽しみ方、その存在の強度が圧巻。小説の根っこが顔を覗かせる。


大半が自虐ネタで一人ボケと自分ツッコミではっちゃけている。
いやほとんど壊れている。関西弁から派生したほとんど意味不明の強烈なキャラ全開で語り、弾け、時には落ち込み、沈み込み、唸っている。

でもしかし、めちゃめちゃなようでいてさすがに西加奈子さんである。言葉はリズミカルであってフラフラと千鳥足で寄り道しながらも見事に流れて漂って綱渡りしてお約束にきっちりオチて、おまけにムーンサルトとトリプルアクセルを決めているみたいな素晴らしきダイナミックでスリリングな文章である。

おもろ過ぎだろ。これはもう西さんのブログもチェックしようね。
ここです → http://info.nishikanako.com/
読んでいてとっても快感な、おなかを直撃する抱腹エッセイでした。
ぁああ楽しい。

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2012.03.13 | 西加奈子 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

三崎亜記さんの「バス・ジャック」です。
「となり町戦争」で第17回小説すばる新人賞受賞、第18回三島由紀夫賞候補、第133回直木賞候補となり、映画化もされて、一躍名を馳せたあとの第2弾の小説だった。


《あらすじ/カバー裏表紙より》
今、「バスジャック」がブームである―。
バスジャックが娯楽として認知されていて、様式美を備えるようになった不条理な社会を描く表題作。
回覧板で知らされた謎の設備「二階扉」を設置しようと奮闘する「二階扉をつけてください」、大切な存在との別れを抒情豊かに描く「送りの夏」など、作者の才能を証明する七つの物語。
この短編集の中に、きっとあなたの人生を変える一遍があります。


何だろうこの感覚、どこかで味わったことのあるどうしようもないくらい私好みの感覚。
安部公房の作品を初めて読んだときの感じたあの感覚に近いと思う。
「となり町戦争」でこの人天才かも?と思ったのだけど、「バスジャック」を読んでしかと確信した。

お話はすべて現実にありそうな、生活の中の一断面。
もしかしたらアルかも?と思わせる現実をすこーし超えた「アイデア」を注入することで、独特の違和感を生じさせ、それによって現実に対する認識を新にさせてくれる。

でもその中に、哀しさや優しさや淡い感じや懐かしさみたいなものをジンと感じさせる感覚が、三崎亜記さん独特の味なのかなと思う。
そういう意味で、研ぎ澄まされた鋭さを感じる安部公房の作品とは一線を画していて、より馴染みよい。

その後の作品をみても幅を広げていて、いつもどんな引出しを開けて見せてくれるのかが、楽しみなド注目の作家さんだ。

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2012.03.12 | 三崎亜記 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「カーブの向こう・ユープケッチャ」です。
書かれた時期もまちまちで、長編の原型となっている作品をいくつか含む短編集である。

カーブの向う・ユープケッチャ カーブの向う・ユープケッチャ (新潮文庫)
《文庫カバー裏表紙より》
突如記憶が中断してしまい、謎に満ちた世界を手探りで行動する男。現代人の孤独と不安を抉り出し、「燃えつきた地図」の原型となった「カーブの向こう」。自分の糞を主食にし、極端に閉じた生態系を持つ奇妙な昆虫・ユープケッチャから始まる寓意に満ちた物語、「方舟さくら丸」の原型となった「ユープケッチャ」。ほかに「砂の女」の原型「チチンデラ ヤパナ」など、知的刺激に満ちた全9篇。


昭和30年に発表された短編「ごろつき」は、これは安部さんの作品なのだろうかと思うほど、ストレートな内容。立場の逆転という要素はあるものの、正直、安部作品では珍しく、これと言って感じるものはなかった。

面白かったのは、「月に飛んだノミの話」。衛生害虫協議会なるものに居合わせた男が語る、ノミとかシラミとか南京虫たちのなかなかに知性溢れる会議のお話である。寓意の富んだ鋭さにユーモアを交えて、楽しませてくれる。

「完全映画(トータル・スコープ)」も面白い。安部さんのSF的な空想の世界を堪能できる。さらに、2部構成的になっており、現実の光景として見えていたものを反転させるトリックも仕掛けられていて、この中では最も娯楽的な作品である。

「チチンデラ ヤパナ」は長編『砂の女』の原型である。設定も内容もかなり近いが、途中でぷっつり終わっている感じだ。ここから、あの名作へと続いていったかと思うと感慨深いが、続きを見たくなる気持ちがわかる気がする。自分が担当編集者だったら、続きを書いてくれと懇願しただろう。

「カーブの向こう」は長編『燃えつきた地図』の冒頭とラストの文章の原型であり、文章自体がかなり同じものだが、作品として主人公の設定が違っていて、この作品の時点ではあくまでも記憶喪失的な内容に終始していたというのが、逆に面白い。

「ユープケッチャ」は『方舟さくら丸』の発端の部分の原型とみなされているが、内容はかなり違う。だがこの時点で、ユープケッチャという閉鎖生態系の昆虫が登場していて、強い印象を残している。

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2012.03.10 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

窪美澄さんの「晴天の迷いクジラ」です。
「ふがいない僕は空を見た」で衝撃的なデビューを飾った窪美澄さんの待望の第2弾小説。


仕事に追われ心を失いつつあることにさえ気づかない青年。
過酷な過去を背負う倒産寸前デザイン会社の女社長。
親の過干渉に苦しみ引きこもりとリストカットを繰り返す少女。
生きることに戸惑い 疲れ 壊れかけた、年齢も性別も異なる三人が、遠くの海でクジラが座礁したというニュースを聞いて、クジラを見に行くという物語。

それぞれが抱える孤独な気持ち、生きていくことの息苦しさ、圧迫感に苛まれた深淵な思いに切実に踏み込んできて、壊れそうな三人の有様が実に生々しい。こういう人間の気持ちをえぐるような有様を描く窪さんの筆力は半端ではない。

登場する母親も父親も夫もみんなとてもイタくて困ったものたちだし、その影響をどうしようもなく受けてしまう主人公たちは弱々しくも不器用であり、なかでも過労と失恋で鬱の男子がまたまたなんともなさけない。

前半はこの三人の辛さ、イタさを読者は見事に共有させられるのだが、だからこそ心ふるわせる感動の後半が待っている。

この小説は、弱い自分自身もまさに今生きていくのだということを意識させてくれるし、そこに優しく寄り添いながら見守ってくれるあたたかな力に溢れている。弱くてなさけない私にとっては、窪さんが紡ぐ言葉をひとつひとつ大切に噛み締めたいと思わせるものがある。

窪美澄は凄い作家だと思う。

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2012.03.09 | 窪美澄 | トラックバック:(0) | コメント:(2) |

瀬尾まいこさんの「強運の持ち主」です。


《文庫本裏表紙より》
元OLが営業の仕事で鍛えた話術を活かし、ルイーズ吉田という名前の占い師に転身。ショッピングセンターの片隅で、悩みを抱える人の背中を押す。父と母のどちらを選ぶべき?という小学生男子や、占いが何度外れても訪れる女子高生、物事のおしまいが見えるという青年…。じんわり優しく温かい著者の世界が詰まった一冊。


瀬尾さんの軽快な読みやすい文章はそのままに、これまでの作品よりも明るくて爽快なお話になっている。

OLから転職した占い師、ルイーズ吉田の成長物語。
そして日常や身近にいる人を大切にする瀬尾さんの思いが軽快なお話の中にしっかり染みこんでいてとってもあったかい。

これまでの作品のような「感動する度」は高くないのだけど、日々を前向きに身近なものを愛しながら暮らすことの魅力が伝わってきて、「素直に勇気づけられる度」「前向きに生きよう度」は最高値だ。

物語は、特に大きな山場もないし、盛り上がりも感じないし、トリックも仕掛けも特にないのだが、とても安心して心地よく読むことができる。幸せな時間である。
通彦(恋人)の作るへんてこ料理や終末がみえる関西弁の武田君の存在がよいアクセントになっていて作品にリズムを与えている。

子どもたちも大好きで、小学校高学年くらいから読めると思うし、得るものも大きいと思う。ちょっとした気持ちの持ち方次第で明日は開けるよと背中を押してくれるだろう。
瀬尾の作品はほぼすべて読んでいると思うのだが、たぶん最も好きな作品の一つである。

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2012.03.08 | 瀬尾まいこ | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を持ち、北極点から南極点を人力踏破もしている石川直樹さんの第六回開高健ノンフィクション賞受賞作。


2008年1月、熱気球での単独飛行で太平洋横断を試み、行方不明となった神田道夫さんと著者である石川直樹さんの冒険について綴った著作である。

神田道夫さんは、公務員でありながら、気球による様々な世界記録を達成し、植村直己賞を受賞している「冒険家」。
著者は神田道夫さんと2004年1月、太平洋を横断すべく一緒に気球に乗り、太平洋上に着水し、危うく命を落としかけながら生還した。

本書は、その時のこと「こうやって人は死んでいくんだろうな、と思った」で始まる。
そして、飛び立って生還するまでの経緯が、素晴らしい迫力で書かれている。さらに、その四年後、神田さんが今度は一人で飛び立ち、行方不明となった出来事を綴っているが、著者はそこで何が起こったのか、共に太平洋横断を試みた経験者として、神田さんを知るものとして、そして神田さんと冒険を共にした仲間たちの意見を交えて、綿密に推理していく。

「最後の冒険家」という表題は、著者の言う「近代の冒険」すなわち、世界地図にまだ見ぬ空白があった時代に、本当に未知なるモノを探求するために挑戦された冒険スタイルを体現する最後の冒険家だと神田道夫さんを称しているのだ。

この本の中に、私の知っている人が何人か出てくる。一人は、パキスタンの独立峰ナンガパルバット越えを現地でサポートし、著者と神田さんが挑戦した太平洋横断の時もあらゆる対応を仕切ったK氏で、私が気球を教えてもらった恩師であり、所属していたクラブのボスだ。彼は数年前に急死された。そして、もう一人は、神田さんに気球を教え、ヒマラヤ越えやナンガパルバット越えなどに共に挑戦し、神田さんを支えてきた日本気球界の重鎮であるI氏だ。彼は、私が気球をやっていたウン十年前からすでに日本気球連盟のトップの一人であり、まさしく日本の気球界のパイオニアであり、牽引してきた功労者だ。

自分が単に遊び心でかかわっていた熱気球というスポーツにおいて、彼らは気球を心から愛し、日本に気球というスポーツを広めながら、一方で前人未踏の冒険を志し、創造性溢れた計画に挑戦することで世界に日本の気球を知らしめ、そして何より自分が求める衝動にあらゆるものを賭けて、全力で生き続けていた。

この本を読むと、なんだか湧き上がるものある。抑え眠らせている何かを感じさせる。
著者は「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験している生きることそのものだ」と書いているが、そこに落ち着けてしまうのではない、何かが神田さんをはじめ彼らにはある気がする。

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2012.03.07 | 石川直樹 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

西加奈子さんの「円卓」です。


いい。すっごくいい。
たまらない心地よいリズムと言葉づかいと世界観。一種の快感を覚える。

「うるさいぼけ」が口癖で「孤独」に憧れる小学三年生の琴子こと「こっこ」。大人びてて醒めているが大阪弁で思い込みの激しいこっこは憎めない愛すべきキャラだ。

彼女を取り巻く友だちや家族の面々は、みんなある意味普通な人たちなのだが、実に個性が際だって見える。
物語も日常的なたわいもない出来事なのだが、なんだか弾けていて、いちいち胸に響く。
それは、なんでもないありふれた人やモノや情景がいかに魅力的でときめかせてくれるモノなのかを、西さん自身がわかっているからだろうと思うのだが、それを見事に表現できるのは、抜群のセンスがなせるワザだと思う。

そして愛が溢れている

何度も、何度も読み返すんだろうなぁこれから。と思いながら、慈しみながら読んだ。

子どもの成長物語ではあるが、西加奈子さんの世界を存分に味わうためのお話である。
ぁぁ気持ち良かった。

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2012.03.06 | 西加奈子 | トラックバック:(1) | コメント:(2) |

乾緑郎さんの「完全なる首長竜の日」です。
第9回「このミステリーがすごい」大賞受賞作品。
「チーム・バチスタの栄光」以来の満場一致で選定された作品だそうだ。


《あらすじ/カバー裏表紙より》
植物状態となった患者とコミュニケーションできる医療器具「SCインターフェース」が開発された。少女漫画家の淳美は、自殺未遂により意識不明の弟の浩市と対話を続ける。「なぜ自殺を図ったのか」という淳美の問いに、浩市は答えることなく月日は過ぎていた。弟の記憶を探るうち、淳美の周囲で不可思議な出来事が起こり‥‥‥。衝撃の結末と静謐な余韻が胸を打つ。


夢と現実、過去と現在を交錯させながら、主人公の淳美の記憶に宿る同じシチュエーションを何度も繰り返し引き戻し、読者のまっとうな感覚を少しずつずらしていって混乱させ、迷宮へと誘う。

いやいやちょっとおかしいよなと思って読み返したくなることが何度もあり、それって辻褄あわないじゃないさと怪訝に思いつつも読み進めるに、それはもう作者の術中にはまっているのであって、淳美の心持ちというか脳が混乱していく様を読者も共有(体験)させられるかのようである。
読者へのその揺さぶりようといい、絡め取りようといい、実に見事というか、ちょっと苛つくというか、少々しんどいのだが、読者がこれを面白いと思うか、肌に合わないと思うかがこの作品の好き嫌いの分かれ目かもしれない。
私は少しばかり酔いそうであった。

ただ、南西諸島のある島での回想シーンで、実家の屋号を猫家「みゃんか」と読ませて読者を引き込みながら、島の情景を鮮やかに描き出す筆力は、相当なモノだと思わせる。
船底についた赤錆をハンマーで叩いて掻き起こす「カンカン虫たち」の息苦しい作業の光景も、肌に絡まるような湿度が感じられて、実に見事な表現力だなあと思った。

とにかく楽しみな作家さんがまた一人増えたことはとても嬉しい。

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2012.03.04 | その他 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「第四間氷期」です。


《あらすじ/カバー裏表紙より》
現在にとって未来とは何か?
文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か?
万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して自体は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の過酷な未来を語りだすのであった……。
薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。



時々発作的に安部公房の作品がどうしても読みたくなる。
さすがに素晴らしく面白い。
読んでいて、胸がキュンキュンしてくる。

自分の作った予言機械に翻弄され、地球史レベルの過酷な環境変化の未来予測に対し、想像を絶する進化を遂げようとする人類の未来に圧倒されながら、それを受け入れられない科学者を描く。

日常の連続性の枠内でしか未来を想像しえない人間の科学の進歩を盲目的に信奉する楽観的観測に対して、現人類にはハッピィとは言えない未来の価値観を突きつけることで警鐘を鳴らしてるようだ。

安部さんならではの医学や数学的な知識に裏付けられた精緻なSF描写はリアリティを感じさせ、説得力がある。
こんなお話が、私が生まれる前に書かれていることに圧倒される。

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2012.03.03 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

万城目学さんの「鴨川ホルモー」です。
発売された当時、本の雑誌上半期第3位に選ばれていながら、マイナーな出版社のためか、うちの近くの本屋にはどこにも置いてなかった。こんなに面白いのに、今ひとつ広がらない。そんな不遇な?環境にありながら、私のような熱烈なファンを獲得してじわじわと人気を博していったのがこの作品だった。


《あらすじ/文庫裏表紙より》
このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる、疾風怒涛の狂乱絵巻。都大路に鳴り響く、伝説誕生のファンファーレ。前代未聞の娯楽大作、碁盤の目をした夢芝居。「鴨川ホルモー」ここにあり。


いやあー、すっごく面白い。新感覚の小説だった。

まずは「ホルモー」っていったい何?だろうと探りながら読み進めていると、いつのまにかぐいぐい引き込まれていくんだけど、ホルモーそのものの設定の奇想天外さと歴史や地理的要素を絡める巧みさとともに、それぞれのキャラの本当の思いがだんだんと見えてくるなんとも秀逸な展開。
そこに京都というまちの奥深さがお話を包み込み、青春小説!と唱うだけのことはある人間関係の味わいが絡み合って、最後はジーンと心にあたたかく響く、もうなんとも感嘆の傑作です。

不思議な世界を紡ぎ出す発想力の素晴らしさは当然ながら、それをわかりやすい文章でしっかり伝えてくれる筆力と、リズミカルにテンポ良くはっちゃけながらも見事に着地する構成力が合わさって、素晴らしいエンターテイメントに仕上がっている。
さらに端々の微妙の懲り方がまたたまらないモノがある。

とにかく好きだ。
たぶん京都に住んでいたらもっと楽しめるんだろうなぁな作品。

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2012.03.02 | 万城目学 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「壁」です。
S・カルマ氏の犯罪/赤い繭/洪水/魔法のチョーク/バベルの塔の狸 の5編からなる。


この本を読んだのは、いったい何度目だろう。
私の価値観といいうか思考パターンに最も大きな影響を与えた小説と言っていい思う。

姉の教科書に「赤い繭」が掲載されていたのを偶然読んだ。その時、自分は中学2年生だったと思うが、安部公房作品との初めての出会いだった。確か「なんかこれもの凄い!、こんな小説があるんや!」と感動した記憶がある。

早速「壁」を買ってきて読んでみた。いやいやそのあまりの面白さに驚愕し、立て続けに数回読んだ。なんか武者震いがした。そして「こんなにものごとを自由に、奇抜に、普通じゃなく、面白く考えてもいいんだ」という、子どもながらに価値観の大きな転換が起こったような気がした。

シュールレアリズム的な面白さ、意外さ、突飛さ、驚きの感覚、現実離れした世界観、想像を超える発想みたいなものが、なぜか最高に知的で、最高に創造的で、最高に楽しくてドキドキするモノとして自分の中に揺るぎないモノとして撃ちこまれ、安部公房さんも特別な存在として刻まれてしまった。

いまだに、自分の価値観の大切な部分をこの時の感覚が占めていると感じるくらいに、この本の存在感は大きい。

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2012.03.01 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(4) |

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