上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告 | トラックバック:(-) | コメント:(-) |

安部公房さんの「R62号の発明・鉛の卵」です。
昭和30年前後に書かれた12編の短編集。

《文庫本裏表紙より》
会社を首にされ、生きたまま自分の「死体」を売ってロボットにされてしまった機械技師が、人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する『R62号の発明』、冬眠器の故障で80万年後に目を覚ました男の行動を通して現代を諷刺した先駆的SF作品『鉛の卵』、ほか『変形の記録』『人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち』など、昭和30年前後の、思想的、方法的冒険にみちた作品12編を収録する。


安部さんの作品には、境界をわからなくするものが多い。本書の中にもいくつも境界を曖昧にして、あるいは境界を意識せずにその間を行き来するものが見受けられる。
安部さんは、動物、植物、物体と人間との境界を事も無げに越えていく。あるいは、生と死の間、観念と物質、肉体と意識の間もするりと移り変わる。

「R62号の発明」では、自殺願望を持った機械技師が自らの命を秘密組織に売って、ロボットに改造されるが、そのロボットは人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する。人間と機械(ロボット)とはここでは同列に扱われ、現代の合理主義への皮肉が込められながらも、単なる人間対機械といった構造ではない関係が実に自由きわまりない。

「犬」では、人間と犬の壮絶な戦いが繰り広げられる。犬は、犬であったり犬の姿のまま人間のように進化したり、自由奔放に能力を変えながら人間を翻弄する。

「棒」では、人間の棒(物質)への変形・変体と人間が道具化することの疎外感のようなものが描かれている。

「盲腸」は、人間と動物の融合であり、「鉛の卵」は、人間と植物の融合による進化を描いており、それによって人間の意識や思想が影響を受けていく。これまで人間が当たり前だと思っていた観念が、動物や植物と融合することでどうなっていくかを検証しているかのようで興味深い。

「変形の記録」「死んだ娘が歌った‥‥」は、生と死の境界を越えて、死者を生者のようにあつかったり、観念の固まりとなって物体としての体や生者の側を見たりする。この2つの作品は、戦後の日本社会が抱えた問題とも絡み合っていてその社会性も見逃せないのだが、安部さんの手にかかれば、単なる社会問題の提起や記録という域を大きく越えた文学的作品へと昇華する。

こうした境界を越えていく手法は、安部さんの発想の自由さから来るのだろうか。私たちの想像力をぶっちぎったその発想は、既成概念を当たり前のように溶かしてしまう力がある。

12編の中では、「鉛の卵」と「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」が、私には面白かった。どちらもシュールな会話がポイントだ。

「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」は、人肉食主義者の三紳士とそれに反対する団体代表の押し問答である。人肉食に反対する武器は“道徳”であるのだが、紳士たちに道徳は全くもって通じないのである。人肉を食用とすることが何故いけないのかという根本がさっぱり理解できないのだ。この問答のシュールさは、合理主義の行きつく先の狂気のようなブラックユーモアを感じさせて大変に面白かった。陳情団の代表がなぜか気の弱いところがなんだかまた笑えるのだ。

「鉛の卵」は、1987年に冷凍保存された一人の学者が100年後に出てくるはずが、何かの間違いで80万年も経ってしまって出てきたというお話。そこには高度な文明を持つ緑色の現代人がいて‥‥。古代人と植物化した現代人のやりとりが、いかにも人と植物との間で感覚がずれていて笑ってしまう。価値観の転換や立場のひっくり返りがあって作品としても大変に面白い。

 にほんブログ村 本ブログへ
スポンサーサイト

2012.05.12 | 安部公房 | トラックバック:(1) | コメント:(4) |

安部公房さんの「人間そっくり」です。
「人間そっくり」の初版は、昭和42年の早川書房「日本SFシリーズ」の一冊として出版されたものだそうだ。


〈カバー裏表紙より〉
《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところに、火星人と自称する男がやってくる。はたしてたんなる気違いなのか、それとも火星人そっくりの人間か、あるいは人間そっくりの火星人なのか?火星の土地を斡旋したり、男をモデルにした小説を書けとすすめたり、変転する男の弁舌にふりまわされ、脚本家はしだいに自分が何かわからなくなっていく・・・。異色のSF長編。


大部分がアパートの一室での、脚本家の主人公と、「ぼく、火星人なんですよ」と自称する男との会話で成り立っている。
自称火星人の男の饒舌さは見事なもので、巧みに話を二転三転させながら、科学的、数学的な知識を織り交ぜたり、論理を振り回したりして、主人公をアリ地獄のように迷宮の世界に引きずり込んでがんじがらめにしていく。

それは、主人公だけにではない。読者である私自身も翻弄され、混乱してきている自分を自覚しつつも、読むのをやめられないでいる。

ここでも、安部作品の中核をなしている「人間の不安の感情」が主人公を取り巻いて離さない。図々しい自称火星人の男は、隙を見せるたびにズンズンと心の中に踏み込んでくる。不安の気持ちをいろんな角度からつつき回されて、広げられて、ひっくり返されて、自分の存在自体があやふやで心もとないものへと変わっていく。

とても奇妙な小説である。
読んでいてなんとなく落ち着かない。
読者自身をも不安定な状態においておくところが、この小説の面白さだ。
また、多くの部分で、会話とト書きのような構成をとっており、小説というより、舞台を見ているような臨場感がある。

現実と非現実、正気と狂気の境界が次第にあいまいになり、いつのまにか逆転していく過程を体感させながら、論理的な思考実験を小説の世界で実現している希有な作品である。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.04.14 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「死に急ぐ鯨たち」です。
すでに絶版になってしまっているが、本書は、安部さんの著書としては数少ない文明批評であり、自身の作品の解説であって貴重だし、実に大変な名著である。

死に急ぐ鯨たち
安部さんは、分析癖が半端ではない。
安部さんは泳げない。コーチから泳ぐ動作を分析しすぎるせいだと批判されたというくらいで、本人も分析癖の過剰は否定できないと言っている。

解説の養老孟司氏は、「安部氏ほどまったく理科的な思考をする人は珍しい」と評している。各論考やインタビューを読んでも、実に分析的であり、確かに理科的な思考が徹底していて、論理が鮮やかである。

最初の論考『シャーマンは祖国を歌う』は、「ことば」を切り口にしたまさに文明批評である。
著書「第四間氷期」の話にはじまり、技術と人間、そして「ことば」の分析へと続く。そして、「国家信仰」を冷却させるための具体的提案として、立法、司法、行政に教育を加えて、四権分立を提案していることは大変興味深い。なお、ここで言う教育とは「DNAがことばという鏡の前に立って自己啓発するまでの、系統発生の歴史を教育基本法にすえた、新しい教育体系でなければ意味がない」としている。

表題の『死に急ぐ鯨たち』の論考は、短いものである。
鯨が突然狂ったように岸をめがけて泳ぎ出し、空気に溺れて死んでしまう集団自殺の謎を、「もともと肺で呼吸していた鯨が、溺死の恐怖におびえて海から逃れようとしているのかもしれない」というのだ。それは、核時代の人間の姿に照らしている。核兵器の力の均衡という奇妙な平和にたどり着いた人間だ。「人間だって鯨のような死に方をしないという保証はない」という。

そこで「国家だけにはなぜ暴力が許されるのか」と問う。「司法権が有効に力を発揮できるためには、犯人の武装解除が出来るだけの暴力の裏付けが必要」で、「もともと自分を超えるものを許容できないのが国家の体質である。人間の政治能力の限界に行き着いてしまったのだろうか」と。

音楽、美術、文学の芸術としての質の違いについて言及している。デジタルとアナログというキーワードから論じられているが、音楽や美術が最終的にアナログな表現をとるのに対して、小説は言語の世界であり、言語はデジタルな記号だという。アナログ的発想からデジタル表記し、またアナログ的処理をしてイメージを創るのが小説の小説たる所以だというのだ。

たばこに関する分析も面白い。たばこは、ニコチンやタールの薬物を吸っているのではない。「時間を吸っているのだ」とする。爪を咬む習慣に似ている。「喫煙の悪癖は生理的耽溺ではなく、言語領域での心理偽装にすぎない。一種の言語療法だろう」という。やはりここでも言語(ことば)に話が及ぶのだった。

この他、ドストエフスキー、ガルシア・マルケス、廃棄物にワープロ、時空の問題など様々な事象についてやはり分析的に、理科的思考で鮮やかに語っている。
さらに自らの作品について、多くを語ってくれていて、ファンとしては大変に興味深い。これほどまでにものごとを論理的に考え抜いて、小説を書いている作家がいるのだろうか。

養老孟司さんは巻末の解説の中で、安部さんが理科的であることと「不安」を描こうとする傾向があることを指摘して、「理科的な論理と不安という情念の結合が、安部氏の作品の基調音をなしているように思えてならない」と述べている。それが不思議な世界を作り出すというのだ。ああなるほどと得心がいく。

確かに、安部さんの作品には、主人公の「不安」駆り立てることで展開する物語が多い。その不安な気持ちを鋭く描写し、持ち前の分析癖で解釈するところできわめて高度な論理性を発揮することから安部作品の特別な世界が生まれるのではないかと感じる。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.04.03 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(2) |

安部公房さんの「無関係な死・時の崖」です。


《あらすじ/文庫本裏表紙より》
自分の部屋に見ず知らずの死体を発見した男が、死体を消そうとして逆に死体に追いつめられてゆく『無関係な死』、試合中のボクサーの意識の流れを、映画的手法で作品化した『時の崖』、ほかに『誘惑者』『使者』『透視図法』『なわ』『人魚伝』など。常に前衛的主題と取り組み、未知の小説世界を構築せんとする著者が、長編「砂の女」「他人の顔」と並行して書き上げた野心作10編を収録する。

昭和30年代に書かれた短編集。
どの作品も発想、展開、表現ともに秀逸で惹きつけられ、現実から少し切り離された独特の世界に連れて行かれたような感覚がたまらない。

なかでも「人魚伝」は素晴らしい傑作だった。
主人公は、沈没船で閉じこめられた人魚を発見する。全身が緑色の異形の姿、しなやかで華奢な身体、整った顔立ちと無邪気な美しい瞳に魅せられてしまう。そして自室で人魚を飼育しようと思いつくのだが‥‥‥。
その人魚の生々しさ、生物としての重量感やぬめり感みたいなものが伝わってくる一方で、自室に人魚を運ぼうとする準備や主人公の行動、心理状態などは、実に細部にこだわった独特の描写がなされていて、その対比が非日常と日常がねじり込まれて重なり合いながら紡がれていき、不思議な違和感を生み出している。
人魚との愛の営みや食事の描写などは、読んでいてぞわぞわしてくる気味の悪ささえ感じるが、物語は大胆な構図の転換をみせて、とんでもない方向へと展開するのだ。

「人魚伝」に限らず、どの短編も人間の内側で起こる不安な気持ちと揺れ具合、心の葛藤が実に論理的に緻密に描かれていて、人間の滑稽さが滲み出てくる。

物語が醸し出す閉塞感、不気味さ、気味の悪さ、不思議さ、不安定感、不条理観、そういうものがなぜかすべて魅惑的で美しいと感じてしまう。そういう力をどの短編もが持ち合わせている。

安部さんの作品を読み出すと、この得体の知れない、掴み取れない感触の快感に取り憑かれてしまうのだ。妄想かもしれないが、安部作品が読みたいと脳が疼く感じがしてならない。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.03.23 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「カーブの向こう・ユープケッチャ」です。
書かれた時期もまちまちで、長編の原型となっている作品をいくつか含む短編集である。

カーブの向う・ユープケッチャ カーブの向う・ユープケッチャ (新潮文庫)
《文庫カバー裏表紙より》
突如記憶が中断してしまい、謎に満ちた世界を手探りで行動する男。現代人の孤独と不安を抉り出し、「燃えつきた地図」の原型となった「カーブの向こう」。自分の糞を主食にし、極端に閉じた生態系を持つ奇妙な昆虫・ユープケッチャから始まる寓意に満ちた物語、「方舟さくら丸」の原型となった「ユープケッチャ」。ほかに「砂の女」の原型「チチンデラ ヤパナ」など、知的刺激に満ちた全9篇。


昭和30年に発表された短編「ごろつき」は、これは安部さんの作品なのだろうかと思うほど、ストレートな内容。立場の逆転という要素はあるものの、正直、安部作品では珍しく、これと言って感じるものはなかった。

面白かったのは、「月に飛んだノミの話」。衛生害虫協議会なるものに居合わせた男が語る、ノミとかシラミとか南京虫たちのなかなかに知性溢れる会議のお話である。寓意の富んだ鋭さにユーモアを交えて、楽しませてくれる。

「完全映画(トータル・スコープ)」も面白い。安部さんのSF的な空想の世界を堪能できる。さらに、2部構成的になっており、現実の光景として見えていたものを反転させるトリックも仕掛けられていて、この中では最も娯楽的な作品である。

「チチンデラ ヤパナ」は長編『砂の女』の原型である。設定も内容もかなり近いが、途中でぷっつり終わっている感じだ。ここから、あの名作へと続いていったかと思うと感慨深いが、続きを見たくなる気持ちがわかる気がする。自分が担当編集者だったら、続きを書いてくれと懇願しただろう。

「カーブの向こう」は長編『燃えつきた地図』の冒頭とラストの文章の原型であり、文章自体がかなり同じものだが、作品として主人公の設定が違っていて、この作品の時点ではあくまでも記憶喪失的な内容に終始していたというのが、逆に面白い。

「ユープケッチャ」は『方舟さくら丸』の発端の部分の原型とみなされているが、内容はかなり違う。だがこの時点で、ユープケッチャという閉鎖生態系の昆虫が登場していて、強い印象を残している。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.03.10 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「第四間氷期」です。


《あらすじ/カバー裏表紙より》
現在にとって未来とは何か?
文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か?
万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して自体は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の過酷な未来を語りだすのであった……。
薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。



時々発作的に安部公房の作品がどうしても読みたくなる。
さすがに素晴らしく面白い。
読んでいて、胸がキュンキュンしてくる。

自分の作った予言機械に翻弄され、地球史レベルの過酷な環境変化の未来予測に対し、想像を絶する進化を遂げようとする人類の未来に圧倒されながら、それを受け入れられない科学者を描く。

日常の連続性の枠内でしか未来を想像しえない人間の科学の進歩を盲目的に信奉する楽観的観測に対して、現人類にはハッピィとは言えない未来の価値観を突きつけることで警鐘を鳴らしてるようだ。

安部さんならではの医学や数学的な知識に裏付けられた精緻なSF描写はリアリティを感じさせ、説得力がある。
こんなお話が、私が生まれる前に書かれていることに圧倒される。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.03.03 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

安部公房さんの「壁」です。
S・カルマ氏の犯罪/赤い繭/洪水/魔法のチョーク/バベルの塔の狸 の5編からなる。


この本を読んだのは、いったい何度目だろう。
私の価値観といいうか思考パターンに最も大きな影響を与えた小説と言っていい思う。

姉の教科書に「赤い繭」が掲載されていたのを偶然読んだ。その時、自分は中学2年生だったと思うが、安部公房作品との初めての出会いだった。確か「なんかこれもの凄い!、こんな小説があるんや!」と感動した記憶がある。

早速「壁」を買ってきて読んでみた。いやいやそのあまりの面白さに驚愕し、立て続けに数回読んだ。なんか武者震いがした。そして「こんなにものごとを自由に、奇抜に、普通じゃなく、面白く考えてもいいんだ」という、子どもながらに価値観の大きな転換が起こったような気がした。

シュールレアリズム的な面白さ、意外さ、突飛さ、驚きの感覚、現実離れした世界観、想像を超える発想みたいなものが、なぜか最高に知的で、最高に創造的で、最高に楽しくてドキドキするモノとして自分の中に揺るぎないモノとして撃ちこまれ、安部公房さんも特別な存在として刻まれてしまった。

いまだに、自分の価値観の大切な部分をこの時の感覚が占めていると感じるくらいに、この本の存在感は大きい。

 にほんブログ村 本ブログへ

2012.03.01 | 安部公房 | トラックバック:(0) | コメント:(4) |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。