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和辻哲郎さんの「風土」です。

梅棹忠夫「文明の生態史論」と並び称される比較文化論の名著である。いつか読まなくちゃと思いながらもずっと積んだままになっていた本なのだが、やっと読んだ。


風土」とは、なんだろう。

哲学者・和辻さんは、冒頭で「風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」と規定しながらも、副題に「人間学的考察」としているように、「風土」は単なる自然現象や土地の状態をいうのではなく、その民族、人間の精神構造のうちに刻まれて具現しているもの、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現のうちに見いだされる人間の「自己了解」の仕方であると規定し直している。
そこから「風土の型が人間の自己了解の型である」というところに到達する。
さらに、「もとより風土は歴史的風土であるがゆえに風土の類型は同時に歴史の類型である」とも言っている。

そこで、風土を『湿気』の違い(湿潤と乾燥)において「モンスーン」と「砂漠」、「牧場」の3つの類型に分類し、日本をモンスーン型ではあるが、夏の「台風」と冬の「大雪」が並存する(それはとりもなおさず四季に富んでいることを指すのだが)特殊性に着目して、風土の側から見た日本人論を展開している。

そして日本人の国民的性格を台風的性格(季節的・突発的)なところから「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」と呼び、一方で、空間的、間柄的にみて日本には明らかに『家』があるとし、家と隔てられた公共なるものを「よそのもの」とみることが様々な営みに影響していると指摘した。

この『湿気(四季の変化)』と『家』に基づいて日本の珍しさ、国民性などを読み取っており、大変興味深い。

なお、解説にもあったが、本書は発刊後間もなく、唯物論の立場から戸坂潤氏が痛烈な批判を試みて以後、様々な角度から批判も受けているそうだ。
先日読んだ『梅棹忠夫語る』(日本経済新聞社/梅棹さんの実質的な最後の書籍(語り))でも、和辻さんの『風土』のことに触れていて、「『風土』はまちがいだらけの本だと思う。‥‥‥どうして『風土』などを言っておきながら、ヨーロッパの農場に雑草がないなどと、そんなバカなことを言うのか。どうしてそんな間違いが起こるのか。‥‥「自分の目で見とらんから」です。‥‥‥あれは思い込みや。」と。

和辻さんがもっぱら天才的な芸術的直感を発揮するのに対して、梅棹さんは、徹底してフィールドワークにこだわる人だったらしいのでこのような発言があるのだろうか。どちらも“天才的”という言葉が相応しい知の巨人のお二人であるが、梅棹さんの「文明の生態史観」と比較して読んでみるのも面白い。

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2012.03.29 | 和辻哲郎 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

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