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池田清彦さんの「やがて消えゆく我が身なら」です。
尊敬する池田清彦さんが、「本の旅人」に連載していたエッセイをまとめたもの。

《文庫本裏表紙より》
「ぐずぐず生きる」「80歳を過ぎたら手術は受けない」「仕事が嫌いなら、心を込めずに働く」「がか検診は受けない」…。人はいつか必ず死ぬ。崩壊寸前の日本の社会システムのなかで、どうしたら有限の命を面白く生きられるだろうか。そもそも面白いとはどういうことか。飾らない人生観と独自のマイノリティー視点で、現代社会の矛盾を鋭く突く!生きにくい世の中を少しでも快活に過ごす、本音炸裂エッセイ。


『人は死ぬ』からはじまっている。
「人間は脳が巨大となり、自我などというものが機能しだして死の恐怖を感じるようになった」と言い、「我々の人生が面白いのはいつか死ぬことを我々自身が知っているからに他ならない」とする。
確かに有限の命であればこそ、今日がどれほどに楽しかったかは意味を持つのだろう。

このエッセイは、有限の命をどうしたら面白く生きられるのかを、池田先生の卓越した理論というのか、あれやこれやをすっかり超越した思考に、奥深い知見を交えて綴った心地よくて痛快な読み物だ。

ご自分で書かれているが、池田先生の文章や主張は、身も蓋もない。これは良い意味で言っている。正しい姿勢というかそういうものだ。

「身も蓋もない」とは、「表現が露骨すぎてふくみも情緒もない」ということだそうで、ある主題について理屈を詰めていけば、ふくみや情緒がなくなるのは当然だという。
変な情緒を排除して、スパッと理屈を吐き出せば、身も蓋もない切れのいい文章に、物言いになるのであろう。だから池田先生の言葉は実に歯切れが良く、小気味いいのだ。

「自分たちの情緒のみが正しいという思い込みが、この世界のすべての不幸の源泉である」との考え方が、芯のところに通っている。

しかしまあ、これだけ過激にものを言いながら、少しも嫌味に感じないのは、そこにある洞察の鋭さとユーモア、そして端々に人柄の良さが滲み出いているからだろう。

たくさんたくさん、ニンマリしちゃうほどに切れ味のいい言葉が、池田理論が並んでいる。
取り上げ出すときりがないのでここではやめておく。

池田先生の思想の基本的なところは、「未来の人も含めて、他人の自由を侵害しない限り基本的に何をしてもよい」との考え方だ。

こういう考え方をベースにおいているからだろうか、池田先生の文章を読んでいると、なんだか肩の力が抜けていく。
あなたは、あなたのまま、無理をしなくていいんだよと言われているような気がしてくるのだ。

それだけでなく、池田先生の文章を読んでいるだけで、物事を考えるときに、素直な自分の目で見て思考する癖みたいなものが少しずつだけど身に付いていくような気がしてくるから不思議だ。読後はなんだか少し、自分のマイノリティの視点で世の中を見ることができるかもしれないという妄想に浸っているのである。
これも心地よい。

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2012.06.23 | 池田清彦 | トラックバック:(1) | コメント:(0) |

池田清彦さん、マツコ・デラックスさんの対談「マツ☆キヨ」です。
とてもお気に入りで尊敬するお二人の対談。


お二人ともマイノリティを自称し、帯にも「異端のふたり」と書かれているが、実にまっとうな正論を気持ち良く吐かれる。

第1章で震災のこと、第2章で情報化社会のことを取り上げて、日本の近代化がもたらした自給自足できないシステムの問題やコミュニケーションの本質などについて語っているが、第3章の『誰がマイナーで、誰がメジャー?』が特におもしろい。

テレビ番組のことから話がはじまる。
「いろんな見方があって、それをめぐってすったもんだしているというのが人間社会の本来のあり方としても正しい」と。そういう井戸端的なディベートができる番組が真っ当だとか‥、無責任システムが横行していて、例えば新聞記事は基本的に全部、署名記事にすべきだとか‥、なんとなく全会一致になっちゃう日本人の同調志向の問題とか、それは他人に合わせるだけで、自分の頭でちゃんと考えていないからだとか、体勢に乗っているときには、間違っても責任を取らなくていいからだとか、だから、体勢とは違う自分の考えを出すためには、なんとなく斜めに構えていないといけないよねとか、で、「ヘンな人」にならない限りにはむしろ言いたい意見が言いづらい風土なんだよねとか。

で、池田さん曰く、マツコさんは、「マイノリティが社会の中で生きるひとつのモデルを与えたという点で存在は大きい」と。
さらに。マイノリティのあり方として「自分たちはマイナーだけど、特別だし、正しい」というかまえからは、生産的な話は出てこないという。

池田先生もマツコさんも、言いたいことを言っているようで、押しつけがましくなくてすがすがしいくもあり、見方によってはなかなかにシャイである。
マツコさんの言葉を借りれば、だいたい「みなさん、ありがとう。そして、ごめんなさい。」という思いを常に持っていて、「しょせんはそんなもんよ、アタシなんて」と自覚し、「いますべきことを淡々とやっていこうって。結局、人間はおごっちゃダメなのよね。ほんとに。」で対談を締めている。

読んでいて、実に気持ちが和らぐというか癒されるというか救われる。この心地よさは、体勢に流されながら「何か変だ」と感じているところを的確かつ過激に突いてくれることとともにその裏にあるマイノリティの自覚と、相手への、人への心ある配慮によるのだろう。

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2012.03.24 | 池田清彦 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

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