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内田樹さんの「街場のメディア論」です。

「アメリカ論」「中国論」「教育論」に続く街場シリーズの第4弾。街場シリーズは、大学での講義の内容や学生とのディスカッションを起こして加筆修正したものだそうだ。

第一講 キャリアは他人のためのもの
第二講 マスメディアの嘘と演技
第三講 メディアと「クレイマー」
第四講 「正義」の暴走
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
第六講 読者はどこにいるのか
第七講 贈与経済と読書
第八講 わけのわからない未来へ


内田樹さんはいいね。切れ味抜群。今回はメディアの衰退を分析する。
既存のメディアを独自の視線でばっさり切っちゃう。

第一講「キャリアは他人のためのもの」のキャリア教育の考え方はなるほど納得がいった。
「適性と天職」を考えてみても意味がなく、「仕事が出来るかどうかは、仕事についてみないとわからない」のだ。
私たちの能力が最も効率的に開発されるのは、その能力が必要とされた時であり、「能力は他者から求められたときに選択的に開花するのだ」という考え方には強く賛同する。

第二講から第五講は、メディアを切れ味鋭くぶった切る。
メディアの価値について。「メディアの威信を最終的に担保するのは、発信する情報の知的な価値」だとする。さらにメディアの有用性を考量する重要な指標は、「危機耐性」と「手作り可能性」なのだと。
そういう意味で、テレビ局の多くが新聞社との系列関係にある身内のメディアであることの問題点とともに、ビッグビジネスであるテレビとコストの安いラジオとの差を指摘している。

真に個人的な言葉には制御がある。現在のメディアの問題は、「最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない」ことにある。だから暴走する。世論とは「誰もその言責を引き受けない言葉」だと言う。
だからこそ、「自分が言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語る方が良いよとおっしゃっている。意に止めて発言しようと思う。

まさに、メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調であるのだ。

第六講「読者はどこにいるのか」は、まったくもって私と考え方が共通していて嬉しい。
書棚に関する(いや読書人に対するか)理路というか、思いというか、考え方は、『本を買って置き場に悩むのが趣味』の私の思いとぴったり符合して心地よかった。
そうだ、本は書棚に並べるために買うのだよ。選書と配架におのれの知的アイデンティティがかかっているのだ。
このことについては、持論を絡めて別途語りたい。

これから新聞やテレビという既成のメディアは、深刻な危機に遭遇するだろう。いや既に遭遇している真っ最中だろうか。出版もその様態を大きく変えつつある。
内田さんは言う。「この危機的状況を生き延びるのは、今遭遇している前代未聞の事態を『自分宛ての贈り物』だと思いなして、好奇心を持って迎え入れることのできる人だ」と。
肝に銘じて、自分なりにメディアと対峙し使っていきたい。

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2012.03.21 | 内田樹 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

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