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梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」です。

本書は「文明の生態史観」に関係した、1956年から1966年の幾つかの論文をまとめて「比較文明論」を展開したもので、1966年10月に刊行された。


大部分が私が生まれる前の論文であり、フィールドワークによる体験と調査を基礎としながらも、まずもって世界をざっくりと大雑把に捉えてものの見事に示してしまった凄さに感嘆する。
それもまだ若かりし梅棹さんの実に鋭い着眼点とこの時代にして斬新かつ大胆であり、革命的と言ってもいい内容にも驚くのだが、この論文のあまりにも簡潔明瞭な論旨とわかりやすい表現はいったいなんなのだろう。

梅棹さんの言う「生態史観」は、だいたいこんな感じだ。

世界を東洋と西洋とに類別するということが、そもそもナンセンスだとする。そして、旧世界をばっさり二つの地域に分けた。

第1地域は、日本と西ヨーロッパ諸国。封建体制のあと革命によってブルジョワが実質的な支配権を得、高度資本主義の体制を確立している地域である。

第2地域は、中国世界、インド世界、イスラム世界、ロシア世界。資本主義的発展が未成熟で、専制君主制か植民地であったか、革命の後も独裁体制にある地域である。

世界を概観すると、全大陸を東北から西南にななめに横断する巨大な乾燥地帯が存在する。古代文明の多くはだいたいこの乾燥地帯のまっただなかかその縁辺にそうサバンナに成立した。乾燥地帯は悪魔の巣だ。ここを支配する遊牧民は破壊力をふるう。

こうした暴力に対抗して、第2地域の歴史は、だいたいにおいて、破壊と征服の歴史であり、建設と破壊の絶えざる繰り返しだった。歴史はむしろ共同体の外部からの力によって動かされ、「他成的」な遷移をたどる。

一方、その東西の周縁に位置する第1地域の日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、まんまとこうした第2地域からの攻撃と破壊をまぬがれた温室みたいなところだった。
そのため、生態系の遷移が「自成的」で、農業文明から工業文明へと順序よく進行した地域であった。


梅棹さんの論調はいたって攻撃的であり、刺激的な物言いが随所に出てきて、時代背景がわからない私にしてもそこまで言い切っていいのかと何ともハラハラさせられる挑戦的な姿勢が、大きな魅力の一つかと感じ入る極めて魅力的な論考である。

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2012.03.20 | 梅棹忠夫 | トラックバック:(0) | コメント:(0) |

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